
熱力学のページ
Thermodynamics
更新:2025/5/30
論文紹介
以下、著者が書いた原著論文の中で熱力学に関係するものをリストアップした。熱力学は大変難しい学問である。教科書で学んだことが現実の場面では違うことがたびたび起こり得る。それが可逆・不可逆の問題であり、ヒステリシスの問題であり、状態変数の扱いだったりする。「熱力学における可逆・不可逆の理論」で述べたことを具体的な問題で詳細に議論した。読者はこれらを読むことでいかに現実の問題解決に役立っているかを知ることができるであろう。
原著論文
A thermodynamic description of the glass state and the glass transition
K. Shrai, J. Phys. Commun. 4 085015 (2020)
ガラスは1世紀にわたり熱力学的に非平衡状態と考えられてきている。しかし外見上どう見ても静止状態であるし温度ももちろん測定できる。にもかかわらずどうして専門家は非平衡状態と考えるのか。その根拠はどれくらい確かなものか? 1)そもそも固体の平衡状態とは何であるか、読者は定義を知っているだろうか?驚いたことに「平衡とは何か」についての整合性のある定義がない。通常平衡は状態変数が一定のものとして理解されているが、しかし状態変数とは平衡状態で定義されるものであるから、これでは平衡を定義したことにはならない。定義がはっきりしていないのにガラスは非平衡状態というのは論理的でない。本論文は第二法則から出発して熱平衡を定義しそれをガラスにも適用したものである。第二法則によると、熱平衡とは「そこから周囲にいかなる痕跡も残さず仕事を取り出すことができない状態」のことをいう。ガラスからは周囲を変えることなく仕事を取り出すことはできない。これからガラスも平衡状態という結論が導かれる。 2)ガラスは非平衡状態で 過冷却液体状態が安定状態とする従来の解釈は実験と反する。比熱測定では逆の結果が示されている。不思議なことであるが、この事実を正面から議論したものはなかった。本論文ではこの解析を行って、ガラスが安定状態であることを示す。
A thermodynamic description of the hysteresis in specific-heat curves in glass transitions
K. Shirai, J. Phys. Commun. 5, 015004 (2021)
ガラス転移は非平衡過程したがって不可逆過程といわれている。たとえば比熱の温度依存性にはヒステリシスが現れており、したがって転移過程は非平衡過程というものである。転移過程の最中は時間依存性を持つものであり、したがって時間依存を持つ状態は非平衡状態というのは正しい。しかしヒステリシスの途中であっても、外部場(温度など)を止めてしまえば、系の状態変化はやがて止まる。系の状態が変わらないという意味では通常の平衡状態物質と変わらない。つまり状態変数で状態が指定できる。その状態変数とは原子の平衡位置であることは、前論文で示した。それがわかると、今度はヒステリシスの途中を記述することもできる。この場合は非平衡状態なので、状態変数が定義できないが、しかしガラス転移のように原子位置の緩和時間がフォノン緩和時間よりも非常に長い場合は、各原子位置に対して瞬間の温度が定義できるので、平衡状態に準じた記述ができる。局所へ意向の概念である。この考えに従ってガラス転移における比熱のヒステリシスを記述する。この場合、平衡状態変数に、緩和時間という力学的変数を付け加えることで、ヒステリシスを記述することができる。
Interpretation of the apparent activation energy of glass transition
K. Shirai, J. Phys. Commun. 5 095013 (2021).
ガラス研究において大きな謎の一つはガラス転移の活性化エネルギーQaがありえないくらい大きな値であることである。この活性化エネルギーは比熱あるいは粘性係数の温度依存性をアレニウスプロットすることにより求められる。そのような実験によると活性化エネルギーQaは低融点の分子性ガラスでさえも10eVくらいにもなる。これは物質の凝集エネルギーよりも大きく、物理的にはあり得ない。長年この問題は謎のまま放置されてきた。本研究でこの問題を解決した。比熱や粘性係数における活性化エネルギーは原子移動のエネルギー障壁Ebに相当するが、そのEbがガラス転移温度付近で大きな温度依存性を持つことが原因である。その温度依存性の大きさだけ、実際のEbの値が拡大されて実験のQaに現れることを明らかにした。
First-principles study on the specific heat of glass at glass transition with a case study on glycerol
K. Shirai, K. Watanabe, and H. Momida, J. Phys.: Condens. Matter 34 375902 (2022)
ガラス転移は実験的には比熱の温度依存性に跳びが生じる点で定義される。比熱の跳びがそのように重要な量であるにも関わらず、それが何であるかがよく分かっていないことは驚くべきことである。何者か分かっていなければ当然定量的に計算することができない。比熱はエネルギーの温度依存性であるが、ガラス転移におけるエネルギー変化を知らなければならないが、それをモデルで合わせてしまったのでは説明にならない。モデルに依らない客観的な計算が必要で、それを行うものが第一原理計算である。本研究では第一原理計算を使い比熱の跳びを初めて再現し、ガラス転移の本質を明らかにした。簡単に述べれば、通常の液体ー結晶の転移において潜熱が生じるが、転移に幅を持つガラス転移では転移幅と比熱の跳びが結晶化における潜熱の役割を果たす。
First-principles study on the specific heat jump in the glass transition of silica glass and the Prigogine-Defay ratio
K. Shirai, K. Watanabe, H. Momida, and S. Hyun, J. Phys.: Condens. Matter 35 505401 (2023)
一つ前の論文に引き続き、第一原理計算でガラス転移を計算したもので、今回はガラスの代表であるシリカガラスについて計算した。シリカガラスの場合、比熱の跳びはガラス物質の中で最も小さく、いつ転移したか分かりにくい。こういうことからガラス状態では固体と液体状態が区別できないという極論さえ唱えられている。一方で、比熱の跳び∆Cと熱膨張の跳びとの比を表すPrigogine-Defay比を調べると、シリカガラスはガラスの中で最も大きい。液体との差が最も大きいとも解釈できる。全く矛盾した性格を持つシリカのガラス転移は最も難しい問題である。本研究はこの問題に対して第一原理計算により答えたものである。結果は、比熱の跳び∆Cを再現し、それが小さい値であることを示した。一方、Prigogine-Defay比は大きな値で、それが構造変化が大きいことを反映するものであることを明らかにした。にもかかわらず比熱の跳びが小さいことは、比熱の高温における統計力学的性格によるものである。構造変化は大きいが、高温では比熱、エントロピーには敏感に反映しない。
Nature of the order parameter of glass
K. Shirai, Foundations, 5, 9 (2025)
ガラスには秩序パラメータがあるとされている。しかしガラスにおける秩序とは何であろうか?普通の意味で、結晶におけるような秩序はない。歴史的には、化学反応における反応の進行度を表すものとして導入され、それは比平衡状態を表すパラメータとして受け取られた。しかしガラス転移の進行度とは何であろうか?あるいは内部変数として記述されることもある。この場合は平衡状態を表すパラメータとして解釈される。しかしガラスの内部変数とは何であろうか?80年以上にわたりいろいろ議論されてきたにも関わらず、その実体については一致した意見がない。これまでの歴史を解析し、問題を解決するには、平衡状態の定義は何か、状態変数の定義は何かを明らかにすることが必要である。その結果、状態変数、オーダーパラメータ、状態拘束、構造、これらは熱力学的に同じものであることを示した。
積年の課題であった難問を平衡の定義から出発して説き起こす本論文は査読者からも絶賛の評価を頂き、Foundations誌のカバー論文としても選ばれた。以下に紹介記事が海外発信されている。
Overestimation of melting temperatures calculated by first-principles molecular dynamics simulations
K. Shirai, H. Momida, K. Sato, and S. Hyun, J. Phys.: Condens. Matter 37, 135901 (2025)
現在、第一原理計算は最も信頼度の高い物質性質の計算方法である。およそ8割方の物質の性質を正確に再現する。最近では困難とされる超伝導の転移温度でさえも可能となりつつある。そのような現状にあって、普通の物質の融点予測があてにならないことは全く謎である。計算結果が多少の誤差があるというレベルを超え、融点が2倍以上の値になるのを目の当たりにすると、全く第一原理計算を信頼したくなくなる。何が問題だろうか?
解説記事
ガラス転移の第一原理分子動力学シミュレーション
ガラス転移は従来、運動学的転移として理解されてきた。ここでは、密度汎関数理論に基づいたエネルギー論からガラス転移を論じる。ガラスの研究がなぜ難しいのかというと、ガラスでは状態の指定の仕方が分からないからだろう。特にヒステリシスのある状態に対しては従来の熱力学は無力であった。過去の履歴を全て取り入れることは不可能である。しかしヒステリシスがある場合でも平衡に達しておれば可能である。そのような状態の指定の仕方から始まり、ガラス転移の本性を明らかにする。
本稿は、日本分析学会・学会誌「熱測定」に投稿したものである。1回目の査読で二人の査読者からいずれも掲載不可の判断を受けた。その理由は事実に基づかないものであり、筆者としては反論を試みるべく編集者にアピールしたが、判定は覆られず反論が査読者に届かないまま不掲載となった。まともな科学的議論がなされないまま葬り去られることは科学発展には不健全な事態である。それゆえここに査読者のコメントとそれに対する筆者の反論を掲載する。
Preprint
State Variables and Constraints in Thermodynamics of Solids and Their Implications
K. Shirai
arXiv:1812.08977
読者は固体の状態変数とは何であるか、考えたことがあるだろうか?気体に対しては独立なものとして温度と圧力だけであることは正しい。ガラスは1世紀にわたり熱力学的に非平衡状態と考えられてきている。その主要な根拠は「その性質が温度と圧力で決まらない」ということである。しかし熱力学の基本法則である第0から2法則までをいかに使っても「温度と圧力だけが状態変数」であることを証明することはできない。そうなるとその根拠は実験事実によらざるを得ない。確かに気体ではそれは事実である。しかし固体ではそうではない。固体を変形すればいくらでもエネルギーは変わるし、固体中の原子を動かせばやはり変わる。事実と反するものはどう見ても従来の解釈が誤っているということである。では固体の状態変数とは何であるか?そもそも状態変数の定義とはなんであるか? どの教科書も「平衡にあったとする」という記述はあるが、「平衡とは何か」についての厳密な定義を述べたものはない。そういうと読者は奇異に感じるかもしれない。常識的には「平衡とは巨視的な性質が時間的に変わらない状態」と答えられると思う。しかしその巨視的な性質とは何かを問うと、温度や圧力などの状態変数ということになる。一方でそれらの状態変数とは熱平衡状態で定義されるものである。つまり鶏が先か卵が先かという自己矛盾の議論に陥る。 “There is no way out of the dilemma that equilibrium is defined via thermodynamic constructs which constructs were in turn defined for the equilibrium state.” by O. C. de Beauragard and M. Tribus (from “Maxwell’s Demon 2: Entropy, Classical and Quantum information, Computing, eds. by H. S. Leff and A. F. Rex (IOP Pub., 2003).”, p. 137) また次も参考、H. Callen, “Thermodynamics and an Introduction to Thermostatistics” 2nd ed (New York: Wiley,1985), Sec. 1.5) ここにはCallenが自己矛盾に陥らずに平衡状態の定義を述べようとして苦労した後が書かれているが、しかし結局は理論の中では解決せず、最終的には「正しさは実験で検証しよう」と述べている。 このように状態変数という言葉を使わずに平衡状態の定義を述べることは至難の業と思える。ところが最近になってこの難問がGyftopoulos-Berettaによって解決された(Thermodynamics - Foundations and Applications (New York: Dover 2005))。平衡状態を状態変数で定義することは、平衡を平衡で説明するようなものである。彼らは、この矛盾を突き、平衡状態を非平衡状態のうち特別な場合として定義する。彼らは普通の熱力学の教え方(平衡、第一法則、第二法則の順に説明される)とは全く違い、第二法則を熱力学理論の最初に持ってくる。そして熱平衡とは「そこから周囲にいかなる痕跡も残さず仕事を取り出すことができない状態」として定義する。この定義の仕方によれば、状態変数という言葉を使うことなしに平衡状態という概念が定義できる。そして与えられた拘束の中で平衡状態は一つ、かつ唯一であることが第二法則の主張である。唯一であるから一意的に定まる量が存在しそれが状態変数ということになる。 この自己矛盾のない平衡の定義が、どんな場合でも曖昧さのはいらない信頼できる定義となる。しかし固体の場合はそれほど簡単でない。上の平衡の定義は良いが、問題は拘束という概念である。気体の場合は容器の壁とかみえる形で現れるが、物質中ではそれが見えない。そこが一番理解するのに苦労する点である。筆者は物質中での拘束の本性がエネルギー障壁であることを明らかにし、それから固体中の原子の平均位置(平衡位置)が状態変数であることを見いだしている。
Residual Entropy of Glasses and the Third Law Expression
K. Shirai
arXiv:2207.11421
熱力学には第三法則というものがある。絶対零度でエントロピーが0になることを主張する。ところがこの法則には例外がある。ガラスや一部の分子性結晶、合金など調べれば調べるほど0でないエントロピー(残留エントロピー)を持つ物質が見つかる。結晶には欠陥がつきものであるが、それも考慮すれば全ての物質は残留エントロピーを持つともいえる。そういうものが物理の法則だろうか?この矛盾について物理学者は1世紀にわたり説明を試みてきた。しかしある物質について説明したと思えても、別の物質について考察するとそれは当たらない。新たな矛盾が見つかる。典型がガラスである。ガラスが第三法則に反することの説明として、ガラスは非平衡状態であるから平衡状態を対象とする熱力学の制約は受けないということである。しかしこれも平衡の定義を突き詰めて考察すると矛盾が見つかる。この考察から、熱平衡とは何かという根本から問い直さないと、第三法則の問題は解決できない。
Revisiting nonequilibrium characterization of glass: History dependence in solids
K. Shirai
arXiv:2406.15726
読者はヒステリシスの定義が何か言えるだろうか?行きと帰りが違うものと答えるかもしれない。しかし熱力学で扱うものは全てそうである。カルノー機関は行きと帰りは違う経路である。カルノー機関までヒステリシスと言ったのではヒステリシスという言葉を使う意味がなくなる。外部場を1周させ、元に戻らないものをヒステリシスと呼ぶとすることは可である。しかし我々が使った外部場は元に戻ったかもしれないが、他の付随する場は戻っていなく、それを含めて戻せば元の状態に復元できるかもしれない。そもそも「元の状態に戻った」ことが何を意味するだろうか?ガラス試料に対して、溶かすなどの熱サイクルを加えたとして、最終状態が始状態と同じかどうかどう判断するのだろうか?ガラス内部の微視的原子配列は明らかに異なる。またヒステリシスとは物質固有の性質であろうか、あるいは単に過程の違いであろうか?こうした疑問に対して答えた教科書はない。本論文では、数々の固体のヒステリシス現象を解析し、その原因となるところを突き止め、厳密な定義を行ったものである。その結果は固体のヒステリシスとは、不可逆過程と同質のものであることを示した。ヒステリシスは、過程を指すものであるが、固体の場合、どのような物質であっても、ある限度以上の外部場変位により不可逆過程が誘導され、それがヒステリシスとなる。